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大阪高等裁判所 昭和22年(上)103号 判決

上告人 被告人 土居忠次 西川博 家嶋喜三郎

辯護人 野口政治郎

檢察官 井關安治關與

主文

本件上告はいずれもこれを棄却する。

理由

被告人土居忠次及び被告人西川博、家嶋喜三郎二名の辯護人野口政次郎の上告論旨はそれぞれ末尾添付の各上告趣意書記載のとおりであつて、これに對し當裁判所は次のように判斷をする。

被告人土居忠次上告趣意書について

所論のごとく假りに被告人が有毒飲食物等取締令を知らなかつたとしても、法の不知は犯意を阻却するものでないから、そのために、被告人に犯意なしというを得ないのみならず、原審の認定したのは、被告人に故意があつたというのではなく、被告人は必要なる注意を怠つてメタノールの濃度約百パーセントの工業用アルコールを飲用に供する目的で他に販賣したという、有毒飲食物取締令第一條第二項違反の罪であるが、同令第一條は、メタノールが人の生命身體に害毒を及ぼすおそれがあるので、その性能に着目して、これが處分などを取締る趣旨であつて、その違反罪が成立するためには、買受人その他においてその飲用によつて現實に害毒を受けたことを必要としないものであるから、この點に關し所論のような事情があるとしても、被告人が責任を免れるを得ないのはもちろんである。また、被告人において、現今アルコールにはメタノールを多量に含有するものがあり、その飲用によつて生命身體に危険を來すおそれがあることを認識しておつたこと原判示のごどくである以上、これが販賣に當つては、原判示のような注意義務のあるのは當然であつて、敢えてこれを命じた法令の存在を必要とするものではないというべく、右の危險はこれを飲食するものの體質あるいはこれに混合する水の量等によつて異ることあるべきは自明の理であるから、單に被告人自らこれを飲用して異状がなかつたという一事をもつて、前示注意義務を盡したものというを得べきではない。

さらに原審の科刑が重きに失するとの所論については、これをもつて上告の理由となし得ないことは日本國憲法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に關する法律第十三條第二項によつて明かであるから、論旨はすべて理由がない。

被告人西川博、同家嶋喜三郎辯護人野口政治郎上告趣意書第一點について

有毒飲食物等取締令第四條第一項は、論旨摘示のように規定しているのであるから、その規定自體から見て所論のごとく故意犯の場合は懲役刑に、また過失犯の場合は罰金刑に處すべきものであるとは到底解することはできない。要するに、右規定の趣意は故意犯たると過失犯たるとを問わず、懲役または罰金に處するを得べきものであつて、そのいずれにするかは裁判所の選擇に委したるものと解すべきである。論旨は理由がない。

同第四點について

有毒飲食物等取締令第一條第一項は所定量以上のメタノールを含有する飲食物の販賣などを禁ずるに對し、同條第二項は本來飲食物でないものにして、いやしくもメタノールを含有する以上これを飲食に供する目的をもつて販賣などをすることを禁じている趣旨と解すべきであつて、そのかかる區別をなしたゆえんのものは、本來飲食物でないものは、いやしくもメタノールを含有する以上、これを飲食に供することによつて生命身體に危害を及ぼすおそれがあるからである。

原判示によれば被告人等は、いずれもメタノールを含有する工業用アルコールを飲食に供する目的をもつて販賣したものであるというのであつて、工業用アルコールは本來飲食物でないのはもちろんであるから、原判決が、この事實に對して右取締令第一條第二項を適用したのは正當であつて、論旨は理由がない。(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 荻野益三郎 判事 大野美稻 判事 大島京一郎)

被告人土居忠次上告趣意書

第一點上告人は本年二十七歳曾て兵役に服し中支より終戰により歸還したるは二十一年七月にて本件取締令發布後半歳斯る罰則あるを知らず、父死亡後なるため家業たる石工業を繼ぎ其收入を以て母弟妹三人宛計八人の生活を支へ來たり此の内勞働に堪ゆるもの僅か弟一人妹一人にて三人の收入で辛ふじて生計を維持されつゝある事情にて加之父生前中多少の借財あり崩濟の現状にあるもの上告人は只管一家の昂隆を企圖する念切なるもの丈けです 兵役に服し二十五歳の七月復員したる爲め世情にも疎く同年九月弟の知人福井榮三郎を初めて知り同人より「アルコール」見本を受取り之を斡旋せば多少共收益あり家計の補助ともならんとし同人に於て本當の「アルコール」なる旨の言明を輕信し大阪府下中河内郡堅下「ブドウ」の産地百姓家大西武重宅を訪ね賣込まんとしたるも纒まらざりし爲め見本持歸り西川博に賣渡したるものにて同人手許に於ては故障生ぜず上告人に責任ありとせば西川に交付行爲丈けです

第二點西川より之を他に轉賣したる以後幾多の支障生じたるとするも上告人關與せざるものなれば其責任は負ふ可きものにあらずと信じます

第三點原判決懲役八年の言渡しは西川より轉賣せられ幾多の人々により不慮の結果を生じたる事を惹起したる責任を上告人に歸せしめられたるもの想意の下科せられたりとせば上告人に於て本件「アルコール」が「メチール」なりとの認識なく物の所持に性能檢査を缺く不注意ありとするも特に之を命じられたる法則なき爲め自らも亦之を飲料として異状なきを確めたる事情の下「何れかの時に人の死を招く」が如き認識豫見なきは事實に有之候以上の状況の下八年の刑は重きに失し法令の不知は犯意缺如の資ともなり「メチール」含有料を不知の事實は違法阻却の原因ともなるべく上告人の心境御洞察仰ぎ特に責ありとせば罰金にて御處斷仰ぎ度く

要之原判決は復員者に對し應召中發令ありたるを知らざる者に對し何等の斟酌を加へられざること又飲料に對し特に性能檢査の法則下命なき事案に對し過失ありとしては非常に重刑にして判決自體は故意犯同様事實認定の下判決ありしことは蓋し認識せずと辯解したる事實あるに不拘證據に基かず獨自の推斷によるものにして失當あるものとし上告申立候

被告人西川博、家嶋喜三郎辯護人野口政次郎上告趣意書

第一點原判決は法令の適用を誤りたるか又は法令を不當に適用した違法がある。

原判決は其の事實理由として、

「第二被告人西川博は

(一)同年(昭和二十一年)九月九日頃より同年九月十三日頃迄の間約六囘に前記同被告人方外一個所で被告人家嶋喜三郎外五名に對し右アルコール中約六斗五升五合を前同様(飲用に供する)の目的で一升四百二十圓乃至四百五十圓の割合で販賣し

(二)同年九月十日頃同被告人方で野村政治に對し右アルコール約三合五勺を前同様の目的で無償にて讓渡し

第三被告人家嶋喜三郎は同年九月十日頃大阪市……數井彌三郎方で同人に對し前記アルコール合計一斗四升を前同様の目的で一升五百圓の割合で販賣し」

と判示し

其の適條に於て有毒飲食物等取締令第四條第一項後段第一條第二項に問擬してその所定刑中懲役刑を選擇してその刑期内で被告人西川博を懲役五年に又被告人家嶋喜三郎を懲役三年に各處斷したのである。

其處で右引用の有毒飲食物等取締令を吟味して見ると、

同令第一條第二項に於て

「メチールハ飲用ニ供スル目的ヲ以テ之ガ販賣讓渡製造又ハ所持スルコトヲ得ズ」

同第四條に於て

「第一條ノ規定ニ違反シタル者ハ三年以上十五年以下ノ懲役又ハ二千圓以上一萬圓以下ノ罰金ニ處ス過失ニ因リ同條ノ規定ニ違反シタル者亦同ジ

〈第二項略〉

第一項ノ罪ヲ犯シタル者ニハ刑法第六十六條ノ規定ヲ適用セズ」

と規定してゐるのである。

即ち仍之觀るに、メチールを飲用の目的で販賣又は讓渡した者は夫れがメチールであることを知つて(故意)した場合は勿論のこと夫れを知らず(過失)にした場合とを問はず右の罰則が同様に適用せられることになり又刑法第六十六條の適用を除外せられて居るので刑法總則の酌量減輕の適用を受けることが出來ないのである。斯様になると茲に具體的事案に就て前記の罰則である懲役刑と罰金刑の選擇が最も留意せられなければならないのである。如何となれば右懲役刑は三年以下は本令に於ては有り得ない事であつて刑法の懲役刑に於て三年以上の刑は極めて重大事犯に止まるに反しその一面罰金一萬圓以下の選擇刑との間隔が蓋し極めて甚だしいものがあるからである。思ふに有毒飲食物等取締令第四條第一項が叙上の如く其の懲役刑と罰金刑の選擇を定め而かも其の兩者の間に一般刑法の罰則と比較し極めて懸隔のある罰則を設けた所以のものは故意犯に付いては懲役刑を又過失犯に付いては罰金刑を科するを以て一般の原則としたものと解せなければならない。又斯く解釋し且つその適用をせなければ科刑の均衡と公平を期待することは出來ないのである。

然るに之を本件に就き觀るに、原裁判所は被告人西川博、同家嶋喜三郎の本件事實に就き夫々故意でなく過失に基くものであることを認め乍らその處罰に於て罰金刑の選擇を排け懲役刑の選擇をしたものであつて之は法令を不當に適用した違法あるものと謂はねばならない。原判決は此の點で破毀を免れないと確信する。

第四點原判決は擬律錯誤の違法がある。

原判決は其の事實理由に於て

「第一……被告人福井が自轉車タイヤーと交換の約束で化粧品製造業辻中治三郎より入手した工業用アルコールを他に飲用として轉賣しようと企て……西川博方へ五十ガロンドラム罐入りの右アルコール合計約一石七斗(メタノールの濃度約百パーセントのもの)を運搬し同人に對し飲用に供する目的で之を……轉賣し、

第二西川博は、

(一)……約六囘に前記同被告人方外一個所で被告人家嶋喜三郎外五名に對し右アルコール中合計約六斗五升五合を前同様の目的で……販賣し、

(二)……同被告人方で野村政治に對し右アルコール約三合五勺を前同様の目的で無償にて讓渡し、

第三被告人家嶋喜三郎は……數井彌三郎方で同人に對し前記アルコール合計一斗四升を前同様の目的で……販賣し」

と判示し、

其の證據に於て「右事實は……判示アルコール中メタノール含有の程度を除き……大阪府警察部刑事課長より額田警察署長宛……書面中に……提出のアルコール中には各強度のメチールアルコールの含有認められ其の比重は〇・七九二乃至〇・七九八で各百パーセントの濃度に相當する旨の記載」と説示して居るのである。即ち仍之觀れば、右原判決の判示事實に依ると該事實は有毒飲食物等取締令第一條第一項に問擬すべきものであつて同條第二項に問擬すべきものでないことは明白である。然るに原判決は右判示事實を右取締令第一條第二項に問擬したもので擬律錯誤の違法があるので破毀を免れないと思考する。

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